昨日の記事の通りファングリーンの方々とお会いするために東京へとドライブしてきました。
さて今回の写真はファングリーンさんが管理しているむさしの市民公園ではなく、そのすぐそばの中央公園です。かなり広大な芝生公園ですね。老若男女結構な数の人々がそれぞれに楽しそうに休日を過ごしていました。
でも公園の中に入ってみるとちょっとヘンな感じ?
野球、サッカー、ラグビーなどのスポーツしている子どもたちは、この広大な芝生公園の奥のほうの土やハードコートで(芝生じゃないところで)練習したり試合してるんです(携帯写真でわかりますかねー?)。
かたや、仲間と食材をもちよりバーベキューでわいわいし盛り上がっている人達はといえば、同様に公園の端の芝生のない土ぼこりの立つ木陰に集まっていました。
結果として広大な芝生は、寝転ぶくらいで人があまり入らずまばらで「見てるだけー」の感じになってます。
あとで聞いたら、この公園はボール遊び禁止など規制があるそうです。こんなに芝生スペースがあるのに・・・。
どうして芝生のグランドをスポーツする子どもたちに提供しないのだろうか?バーベキューパーティーだって芝生の上のほうがはるかに楽しいのに・・・。みたところさしてお金をかけたデリケートな芝生ではなさそうだし、もっとやり方を工夫すれば何とかなるでしょうに・・・と怒りというか悲しいというか、あきれるというか・・・クレージー。
この光景、けっしてお金(予算)がないからなわけではないですね。といって管理者である行政担当のお役人がダメだからなんでしょうか?あるいは利用者のマナーが悪いから、こうせざるをえないのでしょうか?
前者でもあるような、後者でもあるような・・・どっちでもないような・・・?
最近ワタクシは、こう考えるようになりました。
日本人は(ちょっと大げさ?)芝生に対する考え方、芝生の知識・理解といった諸々の総体、言ってみれば芝生に関するリテラシィーが低い、あるいは無いからなのではないでしょうか?
最近コンピュータリテラシィーやヘルスリテラシィーなどというナントカリテラシィーという造語が出回っていますよね。リテラシィーという語自体は「読み書き能力・識字能力」といった意味です。そして反対語はイリテラシィーで「文盲」の意です。
日本の中には芝生に関するイリテラシィー、いわばターフ・イリテラシィー(芝生文盲)が潜在的に非常に多いのではないのでしょうか?(勝手に造語しちゃいました)
芝生に触れて育ってこなかった人。自宅の庭の芝生を世話したことがない人。生活の中で芝生が身近でない人。芝生の快適さを体験したことのない人。なーんて言うと上から目線みたいですが、かくいうワタクシも大してターフ・リテラシィーが高いとは言い難いような気がします。
奇しくも昨日ファングリーンの細窪さんが「学生時代ラグビーやってましたけど、よく考えると以前は芝生でラグビーしたことなんかなかったです」といいながら「最近は芝生以外ではラグビーはやりたくないし、絶対やりません」という実感に変化したことをお話ししてくれました。
そして「練習中に芝生をはがしたときに、さりげなく足で踏み固めて直したり、長時間、ボードや椅子を放置しないという程度のちょっとしたことが、普通の人々に理解されてませんよねー。これって芝生利用のルールっていうよりマナーの問題ですよね!」と至言でした。
その他もろもろの芝生の付き合い方、利用の仕方は特に難しいものではなく、生活のなかで学習された芝生の生物学的な知識や社会的マナーが最低限あれば、なんでもないことです。この根底にあるターフ・リテラシィーを日本社会全体が高めていくのって、壮大な感じもしますね。
こう考えると怒ってばかりもいられませんよね。どうやって学習してもらうかという社会的学習プロセスについて頭をひねったほうがいいかもしれません。
かなりの時間がかかるのかもしれませんが、そう言っている間にも育ちゆく子どもたちがターフ・イリテラシィー(芝生文盲)のままでは、あまりにさみしいですから何とかしたいですね。
話がでかくなっちゃったみたいですが、ワタクシKYな説教おやじ?にはなりたくないので、さりげなくささやかに、できることをあがいてみます。